はろ〜
やっほ〜
大体こういうテンションの時に現れるようにしています。
頭を使う案件として精神保健福祉士の過去問解説をしたりしています。
(クラウドワークス)
勉強になります。
このkeywordから問われていること、裏づけとなること探しをもくもくとします。
時給にはしないほうが良い案件です。
だけどやっていて頭が活動するので、この時間何もしないよりはいいね。
そういう問題を接しながら、わたしが思い出すのはまたまた嫌な先生のことです。
ちょうど精神保健福祉士の勉強していた学生の頃の先生です。先生ってか、教授っていうの?!
その人はわたしの話し方やら話すときの何かやら色々といつも指摘してくるから本当に嫌でした。
わたしがよく「おどけてしまう」ことをエクスキューズすることあると思いますが、
その人に「あなたのその話し方は」みたいに言われて、そこ発動だと思います。
なんか私の頭って、一度指摘、指令されたこと、概ねそこにショックを受けたことが、
その相手にリスペクトあるかないかに限らず記憶として残り、また同じようにならないよう反射的に同じようなことをしてしまった時に、そうなってしまった自分を反省するみたいになっている気がする。
いま色々思い出すと、そういうことを未だに守り続けていたり、反射的に怖くなって守っているみたいなところがあるなあと。
うん。
別にそいつ(そいつ呼び)ともう会うこともないけど。
ただそいつも(そいつ呼び)、
わたしの書く日誌とかはいつも褒めてくれていたから、それはよかったと思います。
逆にそういうそいつも褒めてくれていたことだから、それは良いことなんだ?みたいな。
動機づけというか、自分の中で行為が許可制みたいになっているのかなあと言う感じ。
別に誰になんて言われようが、言われまいが自分軸で動くことなんだろうけど。
そこが難しいのかな。
さいきん過去問解説とかしだして、
特にそのときのことを思い出してきて
そこの反射的な振る舞いを自覚してきたね。
他にも、わたしが
ちょっと被せ気味に相手の話に返事しちゃうことがあったの。
それは「はやくわからなきゃ」という気持ちがあって、なにか教わったときに「はい」「はい」と言っちゃってたの。相手の説明に被せる感じで。
そしたらその人は実習先のスタッフの方だったんだけど、
「話を聞いていない」みたいに思われてしまって、そのように伝えられたことがあったの。
そこはすごいそうだよなと思って、
だけどその人にはちゃんとこういう思いがあって被せ気味になりましたとも伝えられて。
ナチュラルにそのことを守るのは、普通かもしれないんだけど
わりと極端に今日(こんにち)まで、
それを守っている。
相手が話し終わったら「はい」と言う、言わなきゃみたいな。感じ。
そういう反射的な行為に関するものがあるんだよね。
いま2つ上げましたけど、
もっともっと多分探せばあります。
本当にこう直したほうが良いこともあると思うから直せばいいけど、
ここまでこう極端にそこに囚われるのもやっぱりちょっと窮屈だし。
ただ言われてもどうにも治らないこともあると思う。
息苦しさと向き合う日々なので、
色々と、自己分析中です。
いらすとや
『ダウンロードボタンのいらすと』より